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国際パイプ百科事典

ダンヒルのパイプタバコ:1907-1990年

アルフレッド・ダンヒルのデューク・ストリートの店頭で客ごとに調合されたタバコから始まった事業が、1912年にカタログ上の名称付きブレンドへと発展し、1981年にブレンド製造が別の製造元に移されるまでの八十年間。

タグ:

tütün markası, marka tarihi, ingiliz harmanı, londra

更新日:

2026年7月26日

ダンヒルのパイプタバコは、アルフレッド・ダンヒルが1907年にロンドンのセント・ジェームズ地区デューク・ストリートに開いた店から生まれ、八十年にわたりまず拡大し、その後縮小していったブレンドのカタログである。本項ではこのカタログの1907年から1990年までの推移を扱う。各ブレンドの個々の特徴と1990年以降のブランドの歴史についてはダンヒル・タバコブレンドを、パイプについてはダンヒル(White Spot)の項を参照されたい。

デューク・ストリートの店頭と「My Mixture」台帳

店が開いた当初、店頭の仕事は既製の缶入りタバコを売ることではなく、来店客と会話しながらその人だけの配合を組み立てることだった。ショーウィンドウの看板には「Tobacco Specialist」と書かれていた。それぞれの配合には番号が付され、「My Mixture」と呼ばれる台帳に記録された。記録によれば、ブレンドに使われる葉は初期にはペイズリーのジョージ・ドビー・アンド・サン社とTobacco Supply Syndicateという業者から調達されていた。この仕組みの最初のほころびは1910年のカタログに現れた。十点の「My Mixture」の配合が誰でも見られる形で一覧に載せられ、そのうち九点には配合が最初に作られた顧客の名が付されていた。シリーズの中で最も長寿を誇る965もまた、1910年以前にある一人の顧客のために調合されたものだった。台帳の伝統はカタログが拡大する中でも続き、伝えられるところによれば世紀が終わる頃、デューク・ストリートの台帳には三万六千を超える配合が蓄積されていた。

カタログブレンドの誕生(1912-1939年)

当時のイギリスの法規制は、大陸ヨーロッパやアメリカに比べブレンドへの添加物使用を厳しく制限していた。風味は東洋種タバコとヴァージニア葉そのものの性質から引き出さなければならなかった。それを可能にするプレス、焙煎、熟成といった工程は店頭ではなく工房でしか行えなかった。同社は1912年、初の既製「名称付き」ブレンドを発売した。Royal Yacht、Cuba、Durbarである。カタログの記録によれば、この一覧は第一次世界大戦中にYe Olde Signe(1915年)とHarmony(1917年)によって拡大した。前線の部隊向けには、同名のシンプルなパイプとともにCampaign PlugとCampaign Mixtureという臨時のブレンドが製造された。1920年代には三種のラタキア強度で提供されたStandard MixtureとThree Year Matured、Prince of Walesが、1928年にはLondon Mixtureが加わった。Prince of Walesという名は、1921年に同社に王室御用達の勅許を与えたウェールズ公エドワード王子への謝意の表れだった。1936年にはThrogmortonとOld Colonialが加わった。Throgmortonという名は、同社が1923年から1946年まで営業していた二軒目のロンドン店に由来する。同じ十年の終わりには、Savoryというタバコ商の資産が買収されたことで、Baby's BottomとSavory's Mixtureも一覧に加わった。この時期、一覧はもっぱら拡大するばかりだった。1912年から第二次世界大戦までの間、新たな名称付きブレンドは発売されなかった。

戦後の淘汰と最後の拡大

縮小は戦後に始まった。Harmony、Throgmorton、Old Colonialは1940年代末に、Superは1950年代初頭に一覧から外れた。一方1951年には三つの新しいブレンド──Aperitif、Early Morning Pipe、Nightcap──が発表され、後の二つはブランドの最も知られた名前の中に入った。1950年代末にはプレスされたヴァージニアであるFlakeが、1963年にはRough Cut Virginiaが一覧に加わった。1960年代にはPrince of Wales、Savory's Mixture、Three Year Maturedが淘汰され、葉巻用の葉で調合されたCubaも同じ時期に姿を消したが、これはアメリカによるキューバへの禁輸措置に関連付けられている。1960年代末から1970年代にかけては、Elizabethan、Golden Label、Golden Hours、Virginia Ready Rubbedといった名称による一時的な拡大が見られた。1970年代末から1980年代にかけての淘汰では、Aperitif、Durbar、Ye Olde Signeを含む一連の名称が一覧から消えた。

葉、所有権、そして1981年

カタログの縮小には、原葉側の変化が大きく関わっている。1960年代以降、東洋種の葉が産地の区別なくまとめて販売されるようになったことで、個々の亜種に依拠した配合を維持することは困難になった。シリア産ラタキアが段階的にキプロス産の葉に置き換えられたことも、イギリス系ブレンドの風味を恒久的に変えた出来事の一つに数えられる。この間、同社の所有構造も変化し、1967年にロスマンズ・インターナショナルが株式の過半数を取得した。記録によれば1981年、タバコブレンド事業の大部分は965を含む名称付きブレンドとともに、同グループ傘下のベルファストの製造元マレー・サンズ・アンド・カンパニー社に移された。1810年に遡るこの由緒ある工場では熟成期間が短縮され、複雑な配合の一部は生産から外された。1907年に一つの店の奥で始まった物語の第一章は、こうして幕を閉じた。

奥付

İmza Harmanlar:

My Mixture 965, Royal Yacht, Nightcap, Early Morning Pipe

Dönüm Noktaları:

1910 ilk katalog, 1912 isimli harmanlar, 1981 harmanlamanın devri

Kurucu:

Alfred Dunhill

Merkez:

Londra, Duke Street

Dönem:

1907-1990

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リソース

  1. Pipedia — DUNHILL PIPE TOBACCO: 1907 – 1990 の項目(カタログ年表)

  2. Wikipedia — Alfred Dunhillの項目(1907年デューク・ストリートの店、1921年の王室勅許)

  3. Wikipedia — Alfred Dunhill Ltd.の項目(1967年のロスマンズ・インターナショナルによる株式取得)

  4. Wikipedia — Murray, Sons and Companyの項目(ベルファストのWhitehall Tobacco Works、キャレラス・ロスマンズとの関係)

  5. Wikipedia — Latakia (tobacco)の項目(シリア産葉の撤退、生産のキプロスへの移行)

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